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『巡り着けば世界遺産』

2月には3度、『世界遺産』でイスラエルが放送される。最新号のソトコトに、プロデューサーによる日記が掲載されていたので、まるまる引用してみました。この番組と『オーラの泉』は欠かさず見てまーす。しかし、『オーラの泉』のような番組が普通に流されるのって、今の日本を象徴してる。単純におもしろい。笑っちゃう時もある。外国だったらああいうのニューエイジ系のチャンネルで放送されてるよね。
オダギリジョーの回で、彼の根暗さが自分に似ていると思った。暗い感じとかおいつめるのをどこか楽しんでしまう感じ。彼を通してそれを客観的に見たとき、人間が進化して行く先ではこういう人っていづれ、「古い人」って呼ばれるんだろうなぁ 笑。
奥田瑛二の回の、霊とセックスするっていう話はたまげたなぁ。
個人の方がここでオーラの泉の過去ログを文字起こししています。→Click

さて、from SOTOKOTO No.81
こういうのもいづれ、古くなるといいんだけどねぇ。生きているうちは無理だろうなぁ。



文●高木千昭(TBSビジョン・プロデューサー)

「見えないものを感じさせたい」。編集マンの飯田直美(もちろん女性)は、常々そんな風に理想を思い描いてきた。ドキュメンタリーの仕事は世界のほんの断片を切り取ること。しかし、映し出される映像の外側には、風景や歴史はもちろんのこと、人々の思いまでもが果てしなく広がっている。1カット1カットをつなぐことで、フレームを超えた世界を表現できれば…。」それが編集の醍醐味である。と、そうは考えるモノの、なかなか「見えない想い」までを伝えることは難しい。

ところが今回は違ったのだ!「映像そのものに、何かこうでっかいモノがうごめいている。ラッシュを見ているだけで息苦しくなります」。エルサレム、そこはユダヤ教・キリスト教・イスラム教、3つの聖地だ。古代イスラエル王国はこの地を首都に定め、やがて壮麗な神殿を築き上げた。しかし、紀元1世紀ローマ軍に破壊され、ユダヤ人に許されたのは、年に1度かろうじて崩れ残った壁の前で、祖国の喪失を嘆き・祈ることだけだった。その壁は「嘆きの壁」と呼ばれるようになれる。壁から見上げる神殿の丘に立つのは「岩のドーム」。

イスラム教徒は7世紀に、ムハンマドが天界へと旅立った。<聖なる岩>を守るように、この丘にドームを建設したのだ。ほど近い「聖墳墓教会」は、イエスが十字架に架けられたと伝えられるゴルゴダの丘。そこに至る「悲しみの道」は、イエスが十字架を背負いて歩いた受難の道として、キリスト教徒の巡礼が今も絶えない。まさにエルサレムは、3つの宗教の歴史が重なり合うものだ。

「何でもない石壁が、イエスが手をついた所だったりします。ただの街角を巡礼の人たちが歩く。その隣でイスラム教徒が買い物をする。何を考えているのかなって?日常の風景にこそ、かえって感情がギューっと詰まっていて、見ていて切ないですよ」

今でこそ混迷するパレスチナだが、実はわずか100年前までは、ユダヤ人もアラブ人もキリスト教徒も共存して生きていた。お互いの祭礼に出席し合っていたとも聞く。それが20世紀に入り、民族意識の高まりは平和な日々を消し去る。ことに3つの聖地であるエルサレムとなると、その帰属をめぐりイスラエル、パレスチナ自治政府の双方とも妥協を許さない。1981年に「エルサレム旧市街とその城壁」は世界遺産に登録されたが、その成り立ちも極めて異例だった。本来、世界遺産は自国の推薦(要するに立候補)によるものだ。しかし、帰属の定まらないエルサレムは、東隣の国ヨルダンによって申請され認められた。

「素朴にみんな仲良くなろうよ!」と、飯田は思う。世界遺産の編集を手がけて早10年。目を消された壁画、首をはねられた彫刻、崩れ落ちた神殿…破壊し尽くさずに、ちょっと残すことで怨恨を煽る。そんな遺産もいくつか見てきたが、エルサレムほど息苦しかったことはない。飯田の想いを、カットの行間から感じとってもらえるだろうか?

『世界遺産』
2/19 エルサレム旧市街とその城壁1
2/26 エルサレム旧市街とその城壁2
3/5 マサダ
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by mgigi | 2006-02-07 12:04